愛と葦は一文字違いだわ(藤井)

昼間に見える太陽の顔が、少し綻んだ気がします。まだ地中ではおねんねタイムが続いているのでしょうかね。もう少し優しい顔になったら、安心して出てこれるでしょう。
さて、2月も終わりかけ。この時期はなんだか寂しくて好きになれない、そんな藤井がにっきをお届けします。

昨日は初の!通しをしました。ぱちぱち。
全体を通してみることで分かることってありますね。とかいう薄っぺらい感想はおいといて。
!!個人的な!!反省ですが、ただ元気に騒いで機械的にセリフを吐いて楽しそうだなあ自分。と思いました。感じ取れるものが何も無い。
皆が作品に真摯に向き合い、その目でこちらを見つめてくれる中で、悪〜い感じに浮いてます。
生まれてこのかた人と喋ったことある???というレベルの会話力。大切な仲間たちが投げてくれたボールを避けては取れないところに投げつけて…あーーーーーっ!足りません。色々足りない。ふふ。ふふふ。こういう状態だーーーーーーーーーいすき!!!!!!(急にどうした!?)足りないものが多すぎて俄然燃えてきました。あと4日もある。私はまだ、今の5倍くらい舞える自信がある。虚勢か????いや、仮にこれが虚勢だとしても、虚実をひっくり返すくらいには漲ってる。
やだなー。違うんだ。自分のやる気とだけ喋るのは。個人競技してなよってなるもの。
舞台は自由だけど自由じゃない。役者に論理が存在しても、別に論理を観せる訳じゃないし観に来る訳でもない。でも論理なくして表現はできない。意味無いものが生まれた瞬間、皮肉なことにそこへ注目が集まる。意味あるものの中に1つだけ意味無いものがあったとき、それは「美」の邪魔をしてしまうかもしれない。けれども意味が無いことはまた重要で、1つの意味あるものを生み出すには100の無駄がいるのかもしれない。完璧に不要なものはないんですねえ。たぶん…。

と!まあー色々それらしく考えてる訳ですけど、この思考も舞台上では意味無いものです。でも、この思考が意味あるものを生み出すと信じて。目の前の役者と、脚本と、もっと泥臭く向き合いたい。私なりの敬意です。
ふとした瞬間の目線、指先、息遣い、口角、足の開き方。普段気にしないことも、舞台に立つと意味を求められる。なんか意味がゲシュタルト崩壊してきた。何はともあれ、今の私は雑!そのものですから、もっと繊細に丁寧に駆け抜けたいです、と思います。

脚本。それを表現するには深い理解がいります。深い理解をするには、敬意がいります。私がそんな風に書いても、なんだか薄っぺらく聞こえてしまいますが、人間関係と同じだと考えればより伝わるでしょうか。
ただ、役者は脚本を忠実に表現する「媒体」
であり「道具」であるか?と問われれば、絶対にそんなことはないと否定したくなる気持ちが出てきます。やろうとしているのは国語のテストではありません。思考停止してしまえば、簡単に腐ります。役者も脚本も。
演劇は生ものです。その瞬間を生きています。二度と同じ舞台はありません。それなのに論理を求めて毎日練習するなんて、なんだか矛盾しているような気もするし、していない気もします。観る人にとっては練習が意味無いものでも、その一瞬の本番を生み出すのは練習です。
まあ自分でも何がいいたいのやら。って感じですが、意味のあるなしがそのままイコール善し悪しではないということですね。複雑です。

この話で思い出したんですが、私はアリストテレスが好きです。(これまた急!!)
好きです、といえるほど理解しているのかということは一旦置いといて(哲学系の方に怒られそうです)たとえば彼の美学「現実からかけ離れた話でも、その話の構成が物語としてまとまっていて、破綻がなく、またその話に意味の無い(関係のない)物が出てこないこと」(意訳)が真実らしく「美しい」芸術の条件だと言う点に共感します。厳密に言えば少し言葉も足りないだろうし、わたしの理解は真の理解でないかもしれない(本当に人文の方は目を瞑ってください、、、)けれど、私はこの美学の元で芸術活動をしたいなと思えました。また違う理解をしたら考えが変わるかもしれませんが。

演劇は非日常を楽しむものですが、それには真実らしさ・リアリズムを求めてしまう。
ちょっと不思議ですよね。矛盾してない…?知らない人の日常会話をお金を払って見に行こうとは思わないけれど、それが演劇だとカテゴライズされた瞬間、喜んでお金を払って観に行きます。プラトンならば知らない人の日常会話を芸術だと言ったでしょうか?

いや、哲学に対してまだまだ理解が浅い私が語って良かったことではなかったかも…。でも、まあ、わたしなりの解釈ということで、もっと本を読み知を広げようと思います。無知は罪では無いとは思いますが、無知故に他者を攻撃してしまうのは罪かもしれません。いつまでも井の中の蛙だということを忘れずに、知識とお友達になりたいな。

ってそうじゃなくて!話がとても逸れた気が…(いつものこと)

知識として頭に入れることと理解することは違って、理解したと思ってもそれは理解ではなかったりして。他者を思いやり理解をするという行動は、かえって無理解に近づいていっているのかもしれなくて。それでもあなたを理解りたいんだよーって厚かましく手を伸ばしてる瞬間は、最も目の前の人を「見ている」状態だと気づきます。慢心せずに、常に考えていたいなあ(小並感)


最近の若者は心が弱いだとか、最近の若者は熱がないだとか、そういう声を時々聞いては「最近の若者」と一括りにして欲しくないなあ、と少し微妙な気分になります。そもそも私も含めて、「最近の若者」を一人一人見て理解して、「心が弱い」という意味を理解して、「熱がない」という意味・定義・解釈を理解して、その上で一括りにして言ってるのかなあ(めんどくさいなわたし)

「あなたは」熱がないってのを、主語を大きくすることで丸くしてるようにも聞こえたり。まあ、真意はわかりませんから、変な憶測もまた理解から離れた行動になりますね。
私は負けず嫌いで、誰よりも熱くありたくて、自分には厳しくありたいしガツガツしていたい。最近の若者としてではなく、私として見てくれる大人に、涙が出そうなほど感謝したことがあります。

(まあ豆腐メンタルではあるんですけどそりゃ褒められたいし怒られたくないし甘やかされたいのもまた本音なんですわよ!!!!!!!!!!)(おい!!!)

まあなんというか。一部分だけ観て語ってしまうのは気をつけないといけないなぁ。という自戒です。強い人。とか弱い人。とか。見る側面切り取る場面によっていくらでも変わるしね。

とかうだうだ言っても、きっと同じようなことを私もしているかもしれないし、こんなこと細かなことを考えながら会話をするのも、逆に距離が離れる気がします。

気が知れた人との会話はテンポがよくて、何も考えずに話せて気持ちがいい、という錯覚を抱くことがありますが、まあ実際は「相手を思いやる」「相手が本当に嫌がる言葉を使わない」という判断のスピードがとても滑らかになった状態なんだと思います。だから、仲良くなったから何も考えずに会話できている!わーい!というわけじゃなくて、礼を欠いているわけじゃなくて、たくさん考えた結果仲良くなれて、考えることや言葉選びがスムーズになった結果距離が埋まるのかなあ、と私は考えます。
まあ、軽口は甘えの表れって言いますし、色々相手のことを考えた結果として、「受け入れてくれるかも」なんてちょっと甘えて、そうやってコミュニケーションができていくのだなあ、と。(甘えすぎて一方通行になることもある)
完璧な理解など存在しないから、「ごめんね」があるんです。

ん?????いや私甘えすぎだろ!!!!!!!!!やばい!!!!私がとっても楽しいっっ!って思ってる後輩ちゃんたちとの会話がっ!!!!!!!!!!「後輩ちゃんたちが深〜〜〜〜〜〜い懐でわたしの甘えを受け止めて気をつかってくれているから」だったらどうしましょう!!!!!!!!!!!!!!!!(また始まった)(めんどくさい先輩だぜ!って思われてます、今)

ま、まあ、、、「凄く気持ちがいいコミュニケーション」が、相手ありきで成り立っているということは、時々でいいから思い出したいですよね。いつもおしゃべりしてくれてありがとう、と。

まあ総じて何が言いたくなったかというと(ほんとに今日は話がまとまらないぞ…)
相手を大切に思ってる瞬間は、とても尊い。楽しい。自己満足かもしれないけど、だから伝える努力をしてる。

コンビニで美味しそうなスイーツを見た時、「あの子が好きかもしれないなあ〜」とか
本屋で面白そうな本を見つけた時
「あの人この本興味あるかなあ」とか
そんなことを考えてる瞬間は、大事にした方が良い。かもしれない。少なくとも私は大事にしたい。

ぱる公に参加している人たち、1人1人のことを、そんな風にめんどくさい思考の元で、
とっても。まあ。なんというか。そう。
……言いにくーーーーいけど。
愛してる。(キャッ言っちゃった!)


何を書きたかったのか、どうまとめようとしたのか分からなくなっちゃった。まあ、このにっきも生ものということにしてください!(怒られろ)

あなたを理解りたいんだーーーーーーーー厚かましいけど受け取っておくれ。

ほんとに最後の「わたし」のワガママだゾ。






長っめんどくさっ
まあ人間はめんどくさいって言うし、、、(あっほらまたカテゴライズして!)めんどくさい人もいるしめんどくさくない人もきっといます!!!!!!!!!!!!あの!!


某ポ○モンの新情報が激アツだったのでそろそろ終わります。えへ。

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『エマージェンシー・ワン』
作:小田 春 演出:田中 晴愛
⏰公演日
2023年3月3日(金) 19時開演(30分前会場)
🚩場所
クリエイティブスペース赤れんが ホールII
💰料金
一般 1500
学生 1000
※事前予約割→300円引




どんなにカテゴライズされようと、みんな必死に考えて必死に生きてくれている。
どんな選択でも、どんな言葉でも、苦手なことでも得意なことでも、「あなた」を、まあそれもアリじゃん素敵だぜーと、まあそのままでも素敵だけどそうなりたいなら応援するぜーと、できるだけ重りにならないように、そっと包み込みたい。(という文が重い)


出会って一緒に演劇してくれてありがとう。
こんなに足取りが軽い稽古への道中は初めてかもしれない。
永遠があれば良かったのに。


湿っぽいからほんとにおわり。







ぱる公ホームページ

ぱるてのん(田中晴愛)が 山口大学演劇サークル劇団笛の仲間と共に始めた演劇 通称ぱる公のホームページです。